可能ならば

2016年2月24日 TCG全般
可能ならば〜する。といわれて思い出すのはまあ戦闘か

〜は可能なら毎ターン攻撃する。

まあ見慣れた言葉なんだけど
いまさらになってこれはルールと矛盾を含んでいることを発見したー

可能ならなんて書いてなくても、たぶんルール上問題なくて
平和なべつけられたクリーチャーが殴れないのは知っての通り
マジックではできるできないはできないが勝つのは
どっか忘れたけどルールで決まってて、カード上では明文化されてない
可能か不可能かっていったら不可能が勝つに決まってんじゃん
なんてことはいちいち個別にカードに書かれなくたって知ってる

何故か戦闘に限ってこの言葉が使われているけど
いわゆる補文というか蛇足であって
本来は文章化されてはいけない言葉である
実はどこにでも入り込めるので
これを少しでも許すと様々な文章に侵食して(やがてはファイレクシア化する)

例えばソープロの文章も
硫黄の渦等のライフゲインできない系を考慮するのであれば

クリーチャー1体を対象とし、追放する。
そのクリーチャーのコントローラーは、そのパワーに等しい点数のライフを可能なら得る。

になるし、というか可能なら文章取り入れるのであればこうなるべきだし
リリアナだってシガルダを考慮すれば

[+1]:各プレイヤーはカードを1枚捨てる。

[-2]:プレイヤー1人を対象とする。そのプレイヤーは可能ならクリーチャーを1体生け贄に捧げる。

[-6]:プレイヤー1人を対象とし、そのプレイヤーがコントロールするすべてのパーマネントを2つの束に分ける。そのプレイヤーは束を1つ選び、その束にあるすべてのパーマネントを可能なら生け贄に捧げる。

あと檻を考慮すれば緑頂点やNOだって可能ならが入り込んできて
霊魂とドロースペルとか破壊不能と破壊効果とかね
こんなん考慮してたら文章欄は可能ならでうめつくされちゃう
カード化されてなくても〜できないを考慮するのであれば
今はないけどクリーチャーは追放されないみたいな効果を持つカードがすられたら
ソープロの追放の方にも可能ならが入ることになるし
だから可能ならって言葉は本来文章化されてはいけない言葉だったんだけど
何故か戦闘関連ではミラディンにファイレクシアの油が侵食してきたみたいに
侵入してる

なぜ戦闘に限ってこの言葉が使われてるのかなんか深い意味あるのかな−
戦闘するのに邪魔が多いから、タッパーとか?
戦闘のルールは初心者にも優しくないとダメだから?
かなー

戦闘関連だけで現場は食い止められているけど
これ以上ファイレクシア化しないように見守って
いつかのルール改定で可能ならの文章を抹消されればいいかな

■追記
アルファにジャガーノートがはいっててその頃の冗長なテキストの名残らしい
まあ当時のテキストはそれでもいいけど現代においてはいささか

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